その辺の趣味ブログ

主に映画の話しかしません。

好きな映画『鬼畜』

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好きな映画の紹介でも。今回は松本清張原作、野村芳太郎監督の残酷映画「鬼畜

星になった弟、たぶん金持ちに拾われた妹。でも、自分だけは父から決して離れない。離れられない…以下はあらすじ。

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印刷屋を営む竹下宗吉と妻のお梅。ある日、宗吉の愛人が3人の隠し子を宗吉に押し付けて失踪した。妻のお梅は子どもたちに辛く当たり、やがて、末っ子の赤ん坊が不慮の事故で死んでしまう。お梅が故意に仕組んだと察した宗吉は残る2人も何とかしなければと追い詰められて行き……。

長編デビュー作「張込み」から続く、原作松本清張×監督野村芳太郎五度目のタッグ。本作「鬼畜」は、人間の心理に潜む闇、そして社会が内包する病みに焦点を当てた、幽霊・怪物不在のホラー作品、もしくは、スプラッターを用いない残酷映画である。

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失踪した愛人から突然押し付けられた三人の子供たち、責任能力に欠けた父親、そして鬼嫁。子供を疎ましく思う父親が、連れ子の子供と修羅場を繰り広げる問題作「影の車」や、伝染病で引き裂かれた親子の関係を描いた「砂の器」など、毎度社会のタブーに果敢に切り込む野村芳太郎監督が此度扱うテーマはずばり「子殺し」

73年に多発した「コインロッカーベイビー事件」を切っ掛けに、世間的にようやく認知され始めた子殺し(虐待)の実態と悲しみ。本作は、無責任な父親宗吉と、冷酷な鬼嫁お梅が共謀して児童を遺棄する姿を描いた問題作かつトラウマ映画で、観るものは宗吉・お梅夫婦の鬼畜な行いを側から見守る、ある種共犯者的な目線を強いられることになる。

この映画が何より残酷なのは、主人公宗吉が完全無血な悪人ではなく、一握りの良心を備えた一般市民だということ。子供に対して罪悪感を感じながらも、それでも置き去りにする場面はあまりに恐ろしく、トラウマ度で言えばある意味どんなホラー映画を遥かに凌ぐ。

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子供に対して、少しでも疎ましさを感じた大人であれば、見て後悔すること間違いなしなトラウマホラー映画。

鬼畜―松本清張短編全集〈07〉 (光文社文庫)

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好きな映画『夜』

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好きな映画の紹介でも。今回はミケランジェロ・アントニオーニの「

現代社会における愛や友情の希薄さ、儚さを描いた「不毛」シリーズ4作中の3作目。以下はあらすじ。

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結婚して十年になる作家とその妻が、病床にある夫の友人を見舞った。彼の姿を見て、作家の妻は心が傾いていくのを感じる。それは同時に、夫婦の絆が失われていくことを意味していた……。

近代化と共に人間から失われつつある愛、友情、そして心。戦後20年で焼け野原から近代国家へと変貌を遂げた祖国イタリアの情景や、そこに住む人々の姿を独自の視点で描いたアントニオーニの作風は、資本主義が内包する空虚さと不毛さを巧みに暴き、そのアバンギャルドな内容は世界各国で賛否を巻き起こした。

その影響はソ連タルコフスキーギリシャアンゲロプロスなど、数々の巨匠にも波及していて、センシティブ且つシニカルなその視線は、今なお新しさと普遍性を放ち続ける。だが、この不毛関連作の評判は当時真っ二つで、特にアントニオーニのミューズであるモニカ・ヴィッティを主演に据えた前作「情事」は、カンヌ国際映画祭で上映した際、結末を巡って上映後観客からのブーイングが鳴り止まなかったという(挨拶のために舞台袖に控えていたアントニオーニはたまらず会場を去ったらしい)。

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話を映画に戻すと、本作「夜」における主役は三人いて、一人はフランスヌーヴェルバーグの象徴的ヒロイン、ジャンヌ・モロー。そして「甘い生活」「8 1/2」でお馴染みのマルチェロ・マストロヤンニと、最後にこの映画が出演二作目となるモニカ・ヴィッティだ。

マストロヤンニ演じる高名な作家ジョヴァンニは、裕福な家系の妻リディア(ジャンヌ・モロー)と送る長年の夫婦生活に疲れを感じ、日増しに心の距離を置くようになっていた。そんな折に二人は、ふとした切っ掛けを求めて著名人や富裕層たちが集まるアヴァンチュールな夜のパーティに参加するのだが、そこで出会った絶世の美女ヴァレンティーナ(モニカ・ヴィッティ)の存在が、二人の夫婦生活に明けることのない漆黒の夜をもたらしていく…

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浮気による破局や破滅はよくある話だが、本作における夫婦ジョヴァンニとリディアは、どちらかが浮気をしたところでその関係に変化は生じない。なぜなら、映画の開幕段階で二人の関係は既に冷え切っているからで、その根本的な原因や理由は、お互いによく分かっていない。

過去の選択、社会状況、周囲の環境、未来への不安…何がここまで自分たちの心を冷えさせるのか理解できずに、二人は互いの愛が目の前で死んでいく様子をただじっと見つめ続ける。この愛の死にゆく様や、死んでしまった心の姿を、ただ冷徹な目線で静かに描いていくのが、アントニオーニ作品の真骨頂だ。

ラストシーン、ジョヴァンニとリディアは、二人の絆の死を悟りながらも、“それでも”と互いの心を寄せようと身を重ねる。だが、そこにあるのはやはり、不毛で冷たい“何か”だけ。

現代社会に漂う不毛さ、無力感、そして温もりの欠如を描いた本作は、フェリーニの「甘い生活」と合わせて、富や発展がもたらす人間の堕落を巧みに描き出した傑作だ。

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好きな映画『茄子 アンダルシアの夏』

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好きな映画の紹介でも。今回は高坂希太郎監督の「茄子 アンダルシアの夏

黒田硫黄の短編漫画集『茄子』に収録された『アンダルシアの夏』を原作とする、47分の中編アニメ。監督は宮崎駿の右腕として一目置かれ、歴代ジブリ作品で中核スタッフとして活躍してきたスーパーアニメーター高坂希太郎。以下はあらすじ。

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スペイン・アンダルシア地方。そこでは現在、世界3大自転車レースの1つ“ブエルタ・ア・エスパーニャ”が行われていた。ペペはチームの一員としてこのレースに参加していたが、その最中にスポンサーから解雇通告を受けてしまう。やがてレースは彼が生まれ育った村にさしかかった。その頃、村の教会ではペペの兄アンヘルとぺぺのかつての恋人カルメンの結婚式が行われていた。ぺぺの心にこれまでの人生が駆け巡る。それを振り払うようにひたすらペダルを漕ぐペペ。そんな時、突然黒いネコが道に飛び出し、レースは思わぬ展開をみせるのだった…。

寺田克也大友克洋宮崎駿はじめ、アニメ業界内でもファンの多い原作を、アニメーターでありながら無類のサイクル好きでもある高坂希太郎が完全アニメーション化した本作は、1時間未満の短い上映時間ながらも、その高い質が評価された自転車アニメの傑作だ。

スペインはアンダルシア地方で開催される世界3大自転車レースの1つ“ブエルタ・ア・エスパーニャ”に参加する主人公ペペは、これまでの人生において、自転車以外にこれといったものが特にない生粋の自転車バカ。いつもいつでも、ここではないどこか遠くへ行くことを夢見ているも、現実は厳しく、これまで結果らしい結果も残せず、おまけにレースが終わればスポンサーとの契約を解消されてしまう絶体絶命の危機に立たされる。

茹だるような暑さの中、やがてレースコースが自分の地元の道へ差し掛かかると、そこでは丁度、要領が良く、あらゆる面で自分の一歩先をいく兄アンヘルが、かつての恋人カルメンと結婚式を挙げるところだった。

地元に縛られる自分、過去に縛られる自分、家に縛られる自分。あらゆる糸に絡められ、未来や外が見えなくなりそうになったその時、突然コースに乱入した黒猫が先頭グループの足並みを乱し、ペペの前にチャンスの前髪が現れる…

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長年地元に縛られ、日の目を浴びることなく燻る一人の独身男。そんな折にわかに降り注ぐ、千載一遇のビッグチャンス。何も持たない孤独なボクサーロッキー ・バルボアを演じたシルベスター・スタローンは、一夜(一度)限りのチャンスをモノにし、どん底からスター街道を駆け上がっていったが、本作のペペとロッキーの境遇はどこか似ているように思える。古今東西、「自分にはこれしかない」とダメになるまで拘り続けるのが、男という哀れな生き物だ。

この作品を作った高坂希太郎監督は、このアンダルシアの夏が初監督作品であり、本作制作時の年齢は41歳。お世辞にも早い監督デビューとは言えないのだが、それは監督業(設計士)よりアニメーター(大工)を専念したからであって、決して実力に欠けていたからではない。

だが、長年ジブリという“地元”に縛られ宮崎駿の元で働いていた高坂監督にとって、どこか遠くへ必死に抜け出そうともがくペペの姿は重なるものが多かったに違いない。ちなみに、モロにジブリな絵柄の本作だが、アニメーションの製作をしたのはマッドハウスで、ジブリは一切製作に関与していない。

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好きな漫画『バガボンド』

今週のお題という機能を知ったので初参加してみようと思います。

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私にとってのバイブルは井上雄彦先生の『バガボンド』ですね。

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バガボンドは、江戸時代に実在したとされる剣豪宮本武蔵の生涯を描いた時代劇、チャンバラ漫画です。

チャンバラ漫画というジャンルは大好きで、小山ゆう先生の「あずみ」や南條範夫先生の「シグルイ」、さいとうたかお先生の「鬼平犯科帳」等、時代劇ものはよく読んでましたが、中でも頭ひとつ抜けて好きなのはこの「バガボンド

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吉川英治先生の「宮本武蔵」を原作にしたこの漫画は、武蔵が青年期の17歳、場所は天下分け目の関ヶ原を舞台に始まります。田舎町、宮本村を幼なじみの又八と共に抜け出し、戦に参加した武蔵(当時は“むさし”ではなく“たけぞう”)でしたが、大した殊勲も挙げられず落人として残党狩りに合います。しかし、この戦に敗れた苦い原経験が、武蔵の勝ちに対する飢えを植え付け、見果てぬ天下無双の夢を追い求めることとなっていきます。

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京の天才吉岡清十郎宝蔵院流槍術の申し子胤舜、山賊宍戸梅軒、柳生高弟との切り合い、そして伝説の吉岡門弟70人斬り…数々の死闘を乗り越えた武蔵は、次第に天下無双の目標へと突き進み、かつて無双の名を欲しいままにした最強・柳生石舟斎や、生ける伝説伊藤一刀斎と並び立つ強さを手にするのですが、新たな強さを手にいれるたびに、自分の中で自問自答が繰り返されます。

「強いとは何か?」

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自分は確かに、人を斬り、殺す術に関して誰よりも優れている。しかし、本当の強さとは、勝利とは、相手を討ち倒すことでも、己が技を研鑽し磨くこととも違うのかもしれない。そんな疑念や疑問に捉われた武蔵は、次第に自分が分からなくなります。

倒して、倒して、倒して、倒し続けた末に手に入れた頂点の地位。そこに辿り着くまでに得たものと、辿り着いた瞬間に消えた、目標と執念。山の頂に立ち、周囲に敵が居なくなったその時、武蔵は最後にして最強の敵と向き合うこととなります。それは他でもない自分でした。

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敵とは何か?敵とは誰か?そもそも、敵を作り出しているのは誰なのか?人間が人間故に生み出してしまう争いや諍い、他者を認められないが故に生まれてしまう怒りと悲しみ、そして驕り。

刀や甲冑、藩や身分や決闘の概念は消えても、戦いや争いの文化は未だ消えることなく、この現代社会にも根強く残っています。刀が言葉になり替わり、身分は金の有無で決まるこの時代だからこそ、頂点に立った武蔵のその姿や、その目で見た世界の形は、頂に立つことの叶わない私のような凡人には深く刺さります。

結局、自分の敵はいつでも自分。そんな真理に気づかせてくれたバガボンドは、私にとっての大事な指針の一つです。大変残念なことに、因縁の闘いである佐々木小次郎との決闘を控えた状態で現在長期休載中ですが、いつか再開することを願って待ち続けます。以上、好きな漫画でした。

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バガボンド コミック 1-37巻セット (モ-ニングKC)

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好きな映画監督10選

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気がつけばブログがそろそろ開設1周年迎えそうなので、今回は趣向を変えて、個人的に好きな映画監督10選をやりたいと思います。というわけで早速行ってみよう。

 

その①「フェデリコ・フェリーニ

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出ました映像の魔術師。当ブログで幾度となく作品を紹介していることでもお馴染みの、イタリアが産んだマエストロ。イタリア映画監督はデ・シーカ、ヴィスコンティ、アントニオーニ、そして変態フルチやパゾリーニと粒ぞろいですが、私にとってのイタリアーナといえば、それはまさしくフェリーニ映画に出てくるボインやウッフン、彼の美しきミューズたちなのです。アントニオーニは大好きなので、今後機会があれば紹介していきたいですね。

 

その②「北野武

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「バカヤロウ!コノヤロウ!ダンカンバカヤロウ!」あの淀川長治さんも大絶賛。稀代の天才北野武が作る映画は、実にセンチメンタルかつ暴力的。現代の喜劇王とも言える天才キタノのフィルモグラフィは、dollsまでは全て手放しで大好き&大絶賛、です。

 

その③「アレハンドロ・ホドロフスキー

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シネフィル界のグルことホドロフスキー。彼の作る映画は映画ではなく、ホドロフスキーという名の芸術作品。そのアバンギャルドでファンタスティックな映画の内容は、もはや観るLSD。一度も紹介してませんが、めちゃくちゃ好きな監督ですね。

 

その④「ジョン・カーペンター

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「ワシじゃよ」

B級映画界のカイザーにして、現代社会に中指を立てる反骨精神のカリスマ。彼の作る映画はどれもユニークで好きです。傑作と同じ数だけゴミ映画も大漁に作ってますけど、ゴミはゴミでもカーペンターのゴミは一味違う。カッコいいとは、こういうことさ。

 

その⑤「デヴィッド・リンチ

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前衛変態おじさん、デヴィッド・リンチです。この人の映画は一見意味不明で支離滅裂ですけど、その実、古典の名作から元ネタを引っ張ってコピーアンドペーストする天才で、そのチョイスや切り貼り具合がまたマニアックで面白いですね。実は真面目で堅実、まともでもっともなフィルムメーカーです。ツインピークスの影響で、ブラックコーヒーが好きになりました。

 

その⑥「ユーリー・ノルシュテイン

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ソ連映画は大好きです。ソ連映画の巨匠はタルコフスキー筆頭にとんでもない才能がひしめき合っているので、一人選ぶのにだいぶ悩みましたが、やはりここはユーリー・ノルシュテイン。この人の作品を初めて見たときは、目から鱗が落ちましたね。現在、サクラダファミリア的野心作「外套」を作っているそうですが、果たして完成するのでしょうか。

 

その⑦「ポール・ヴァーホーヴェン

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各国、一人はとんでもない変態を抱えているものですが、オランダの代表は間違いなく彼です。ヴァーホーヴェン作品は、どれもこれもが人間の根源的欲求「破壊」と「性」を忖度せずに見せつけてくれるので、物凄い不快感と同時に快感が生まれて最高です。

 

その⑧「高畑勲

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アニメーションに初めて「レイアウトシステム」を持ち込んだり、海外ロケハンをして資料収集を行ったりと、アニメ業界に多大なる功績を残した大巨匠にして、フランス語にも精通したインテリ中のインテリ。今日本でディズニー以外の海外アニメが見れるのは、大体この人のお陰です。アニメーションの神さまはノルシュテインですが、アニメーション映画の神さまというのは、冗談抜きにこの人でしょう。そういえば、まだ一作品も紹介できてません。

 

その⑨「宮崎駿

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押井守監督と迷いましたが、流石の巨匠、総合力において一分の隙もありません。彼の映画に出てくる登場人物はみんな超人すぎて誰一人共感できませんが、それでも見ている内にグイグイ引き込まれるのだから凄い。ある意味、ホドロフスキーと同類ともいえる観るLSD系作家です。

 

その⑩「チャールズ・チャップリン

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天才といえばチャップリンチャップリンといえば天才。チャップリン映画は手軽に気楽に観れる割に、実はキューブリック顔負けな計算され尽くした完璧主義ぶりでいつも驚かされます。ヒトラーから逃れた作家は数あれど、存命中に喧嘩を売ったのは後にも先にもチャップリンだけでしょう。私のヒーローです。

 

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※惜しくも落選した人たち

以上、好きな映画監督10選でした。手堅すぎてかなり面白みにかけますが、まあみんな大体こんなもんでしょう。困ったときは王道、です。それではまた。

好きな映画『女の都』

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好きな映画の紹介でも。今回はフェリーニ晩年の傑作「女の都

女、女、女。女だらけの姦天国。もしくは、地獄。以下はあらすじ。

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列車の中で乗り合わせた巨乳美女を追って、途中下車してしまう無類の女好きスナポラツ。だが彼は、ウーマンリヴのメンバーやパンク少女など、次々現れる女たちに翻弄されながら、壮麗な夢の迷宮の中に入っていく……。

甘い生活」に始まり「8 1/2」そして本作と、フェリーニが自身のダブル(分身)として度々起用するイタリアの伊達男マルチェロ・マストロヤン二。彼との三度のタッグによって生まれた女だらけの人生狂想曲は、フェリーニの女性に対する畏怖と畏敬の念混じり合う、ある種集大成的な作品だ。

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旅の道中乗り合わせた巨乳美女を追って、途中下車した森を抜けた先にある怪しげなホテル。そこで開催されている大集会に紛れ込んだ主人公スナポラツは、女だらけの桃源郷に心躍らせ胸膨らませるのだが、そこにいたのは、男性のような体つきをした淫乱な掃除婦、パンク・ファッションの少女、そして怒れるフェミニスト軍団という、誰も彼もが常識では測れないイカれた連中ばかりであった。次から次に現れる破天荒女たちに翻弄され、次第に辟易していくスナポラツは…。

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かねてよりハーレム、酒池肉林幻想を胸に秘めていた(別に秘めるほど隠してもいないが)フェリーニの妄想・幻想が爆発した本作は、「8 1/2」や「サテリコン」で見せたハーレム描写をもう一段階進化させたばかりか、「カサノバ」の過激な性描写をも上回る卑猥さ、下劣さでもって、もはや制御不能のダンプカーと化した超怪作の一本だ。

8 1/2」において、映画監督グイドが夢想したハーレム屋敷「女の都」を具現化させたかのような、夢の世界を渡り歩く主人公スナポラツ。「かくも下品・下劣且つパワフルで、その上酷く恐ろしい。だが、それを補って余りある美しさ。それが女だ」とでも言いたげなフェリーニ独特の女性観迸る本作の内容は、人によって受け取り方が分かれること請け合いなので何とも言えないところだが、一つ確かなのは、この作品は実に愉快で、馬鹿馬鹿しくて愛おしい。

前作「オーケストラ・リハーサル」を最後に、長年連れ添った盟友ニーノ・ロータに先立たれたことで、フェリーニは本作から劇伴に絶対の信頼を置けない状況に立たされる。ロータを欠いたフェリーニ作品は、かつての色気・輝きを失ったとも言われがちだが、少なくとも、本作の下劣さは過去最高であり、その映画的快楽は依然健在と言えるだろう。

女の都 【HDマスター】[Blu-Ray]

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好きな映画『カビリアの夜』

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好きな映画の紹介でも。今回はフェリーニの名作『カビリアの夜

女娼婦カビリアが送る狂騒的かつ幻想的な夜の世界。貧しくも忙しなかったあの日々、あの出来事も、今や過去の記憶…以下はあらすじ。

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ローマ郊外、河で少年たちが遊んでいる。そこへ、男に騙されバッグを奪われた女が叩き込まれて大騒ぎ。娼婦カビリアは幾度となくこんなことを繰り返してきた。不幸続きを嘆く彼女だったが、ある夜、ふらりと入った見せ物小屋で知り合った男性に、運命的な出会いを感じる。自分の全てを彼に委ね、幸せに浸るカビリアだったが…

戦後イタリア市民の生活の厳しさや貧しさ、現実の辛さを描いた映画、いわゆるネオレアリズモから出発し、その路線で有名監督へとステップアップしていったフェリーニ

傑作「道」と同じ路線を取り、主演女優やスタッフも同じ体制で臨むことで、連作ともいえる出来になった本作カビリアの夜は、「道」に続いて二度目のアカデミー賞受賞をフェリーニにもたらしたものの、この作品を境に、フェリーニはネオレアリズモからすっぱり足を洗う。というのも、その映画的興味が情欲、女、不条理、群衆、そして都市へと移行していくからだ。

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そんな訳で、フェリーニにとって最後のネオレアリズモとなった本作は、「道」と同じく妻ジュリエッタ・マシーナを主演に据え、現実の厳しさをテーマに“娼婦カビリア”というキャラクターを演じさせたのだが、そのキャラクターは「道」でマシーナが演じた芸人ジェルソミーナの、天使のような無垢な役柄とはかけ離れ、自立した一人の強かな女性として描かれている。

これは、ジェルソミーナの描かれ方に関して「キリスト教的すぎる」「男性が描く理想像でしかない」と批評家から散々叩かれた影響なのだが、この批判を境に、フェリーニ作品における女性の扱いかたは段々と変化していくこととなり、その描かれ方はどこまでも曖昧で、強いのか弱いのかもハッキリとしない、「理解は出来ないけど、それでも好き」という、終生女性に振り回された(振り回した)フェリーニらしい帰結へと到達していく。

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余談ではあるが、このカビリアというキャラクターには元ネタがあり、その原型は初期作品「白い酋長」から引っ張られたもので、白い酋長の中で端役としてマシーナは既に娼婦カビリアの役を演じている。

カビリアの夜 [Blu-ray]

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