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主に映画の話しかしません。

好きな映画『フェリーニのアマルコルド』

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好きな映画の紹介でも。今回はフェデリコ・フェリーニの「アマルコルド」。

フェリーニという映画監督は、(主に日本において)実に損な扱いを受けている作家の一人に思える。というのも、フェリーニ映画を食わず嫌いしている人間の多くは、彼の作品を「お堅い(お高い)芸術映画」だと思い込んで敬遠しているからだ。(かく言う私も、かつてはその一人だったので偉そうなことは言えないが)

フェリーニの映画は、お堅くお高い芸術映画とは縁遠い、どれもこれもが品性下劣でどうしようもない作品たちばかり。男はニタニタ笑いながら女の尻を追いかけ回すし、女は女でそんな男共にウッフンと笑いかけ誘惑する。大衆向けで俗っぽく、馬鹿馬鹿しくて人情的。そこには高尚さなどかけらも存在していない。フェリーニ映画は、あくまで大衆娯楽だ。

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このアマルコルドにしても、イタリア・リミニに住むとある家族と、その他街の住人たちの日常を描くこに終始していて、難しいことや解釈が分かれるようなことは一切起こらない。その内容は、どこまでも庶民的な小スケール感のみで構成されている。

夜の街を賑やかす狂騒的な魔女祭り。下ネタと嫌がらせしか頭にないアホ餓鬼共のいたずら合戦。浜辺に居座る神出鬼没な謎の娼婦。どれもこれもがドリフのコントのような馬鹿馬鹿しさに満ち溢れ、観客に笑いを誘うものの、その光景のいずれもが言葉では言い表せない凄みと美しさを放っているのだからただ事では無い。

冒頭で「この作品は単なる大衆娯楽」と説明したような気がするが、世界で五指に入るであろう大巨匠が撮る「日常もの」が、その辺の監督が作る平凡な大衆娯楽として収まるわけもなし。アマルコルドという映画は、娯楽であると同時に芸術作品でもあるという、なんとも贅沢な矛盾をその身に宿した大傑作だ。

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