その辺の趣味ブログ

主に映画の話しかしません。

好きな映画『ファイト・クラブ』

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好きな映画の紹介でも。今回はデビッド・フィンチャーの代表作「ファイト・クラブ

ファイトクラブ」と聞くと、私としては映画よりも先に「ガチンコファイトクラブ」というバラエティ番組が出てきてしまう。元プロボクサー竹原慎二が出演していたアレだ。いやなんていうか、すごくどうでもいい話をしてしまった。

映画について語ってみると、この作品は鬼才デビッド・フィンチャーの監督4作目にして、最高傑作のサスペンス映画だ。映画監督になる以前、元々ミュージックビデオを作っていたというフィンチャーは、監督デビュー作にしてエイリアンシリーズの3作目「エイリアン3」を監督した際、あまりの酷評に晒され精神を病んだと聞く。

だが、こんな凄い映画を作ってしまえるフィンチャーほどの天才が、「批判に晒されたから」などという、程度の易しい理由でノックダウンされるとは到底思えない。では、何がフィンチャーを暗黒面に陥れたのかといえば、答えは映画(ファイト・クラブ)の中にある。

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ここで映画の内容について説明すると、「ファイトクラブ」とは、エドワード・ノートン演じる「僕」と、ブラッド・ピット演じるカリスマ教祖「タイラー・ダーデン」が創設した会員制の秘密クラブのこと。中では夜な夜な、世の中に不満を持つ若者たちが、互いに拳で殴り合い、暴力という名の握手を交わす。この過激な対話の先に待っているのは、タイラー曰く「新世界」だそうだ。

謎の男、タイラー・ダーデンは一体何者か?そして、この映画は一体何なのか?タイラーは語る。

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なんでもできる自由が手に入るのはすべてを失ってからだ

文明生活の基本的な前提を拒否しろ。特に物を持つことの重要性を拒否しろ

どん底に落ちるってのは、週末のレジャーなんかじゃない。クソなセミナーでもない。すべてをコントロールしようとするのを止めて、手放すんだ!手放せ!

これはお前の人生だ。そして、1分ごとに死に近づいている

タイラーの掲げるミニマリスト的思想は、自己啓発本に載っている「幸せな人生の生き方」などでは無く「世の中(消費社会)の真実」であり、そして「自分への勝ち方」だ。

人間の身体は血と骨と肉で出来ているにも関わらず、人々は生命活動に一切関係のないブランド品や車やコンピュータを欲しがり、覚えなくてもいい布団のメーカー名を記憶することに脳のリソースを割く。何のために?もちろん、自分のために。

文明や技術の発達に伴い、人はいつからか、自分がどうしたいかではなく、他人にどう思われたい(評価されたい)かを基準に行動するようになってしまった。現代人にとって、他者より秀でる「ステータス(知識・物・金)」こそが、生き死によりも優先されるべき最重要事項だからだ。そんな大衆…消費者に対し、タイラーは「目を覚ませ」と大声で呼びかける。

だが、かつてはフィンチャーもそんな一消費者に過ぎない存在であり、自分の人生に勝てない敗北者だった。少なくとも、度重なる脚本のリライトに振り回され、敗戦処理に近い仕事を押し付けられたにも関わらず、「自分が作りたいものが作れないなら降りる」ときっぱりエイリアン3を見限れなかったあの日のフィンチャーは、キャリアと名声欲しさに出資者に服従した立派な消費者代表である。

冒頭で語った「あの時フィンチャーが精神を病んだ本当の理由」は、観客からの批判では当然ない。クリエイターとしてわがまま(信念)を通しきれなかった己自身に失望したからだ。他人にコントロールされ、自分のやりたいことができない状態など、表現者として死んだも同然とフィンチャーは考えたのだろう。

ファイトクラブは、そんなフィンチャーが高らかに掲げる己が人生への「果たし状」であり、物を捨てられなかったかつての自分に対する三行半だ。

この映画の完成によって、フィンチャーは蛹を脱ぎ捨て完全変態を遂げた。デビッド・フィンチャー改め、タイラー・ダーデンへと。

ラストシーン、映画を見ている私たちの後ろで、映写室からタイラーが微笑む。

お前は一体どうしたいんだ?

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