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好きな映画『ヒックとドラゴン』

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好きな映画の紹介でも。今回はディーン・デュボア、クリス・サンダース共同監督のヒロイック冒険ファンタジーヒックとドラゴン

人間とドラゴン、戦争と調和。相互理解・不理解がもたらす軌跡と奇跡の物語。以下はあらすじ。

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以前より、バイキングとドラゴンとの戦いが続いているバーク島。ある日、平凡な少年、ヒックはケガをしたドラゴンのトゥースと偶然に出会う。本来なら敵同士であるヒックとトゥース。しかし、二人の距離は少しずつ縮まり、やがて誰にも知られないように友情を育んでいく…。

アニメ作品のアカデミー賞と言われるアニー賞において、作品賞含む主要10部門を総なめにした、アンチディズニー集団ドリームワークスの傑作アニメーションシリーズ第一弾。

イギリスの児童文学作家クレシッダ・コーウェルの「ヒックとドラゴン」を原作とする本作は、原作から設定やキャラクターを大きく変更させており、とりわけ主人公ヒックと相棒トゥースの関係性や、ドラゴンの生態を知ったヒックが、人間とドラゴンとの間で中を取り持つ姿などは、映画オリジナルの要素であり、原作と映画は殆ど別物と言っていい。

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ヒックが住むバーク島は、屈強なヴァイキングたちが軒を連ねる小さな島国。ヴァイキングといえば、まさしく海賊のイメージそのままに、掠奪を生業とする海のギャングの様に思われがちだが、その生活の多くは故地における農業や、遠征先での交易が主であり、実は掠奪自体は仕事ではない(映画の中でも農業や漁業を生業としている描写が見受けられる)。

ヴァイキングが活躍していた時代は凡そ800年〜1050年。そしてその活動地域は、スカンディナヴィア半島、バルト海沿岸全体となる。北欧の地に住まう彼らにとって、信じる「神」とは「自然」や「世界」そのものであり、イングランドの支配が及ぶ800年代末ごろまでは、俗に言う精霊信仰・アニミズムが長年土地に根付いていたという。

これが何を意味するかというと、つまるところ彼らの思想・死生観にキリスト教的な考え(懺悔・施し・赦し)は一切絡んでこないということで、ヒックとドラゴン本編においても、ヴァイキングたちは勝利や奇跡を雷の神「トール」や、戦いの神「オーディン」などに希う。彼らにとっては勇ましさや豪傑さこそ信じる「神」であり、臆病、後悔、迷い、情けなどは、即“弱者”として切り捨てられ、それはそのまま死に直結する。

後悔・反省とは無縁で無頓着。ヴァイキングとは現代でいう超体育会系かつ肉食の脳筋集団であり、そこにヒックのような繊細で思慮深い人間がいることがどれだけ大変かは、映画本編を見ていればよく分かる。また、ヒックはたまたま族長の息子というポジションにいたために“まだ”大目に見られていたフシがあるものの、これがもし平民の子であったとしたら、気紛れに殺されていたとしても不思議ではない。ヴァイキングの世界は、=北斗の拳、マッドマックスと思って差し支えない。

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さて、ここからが本題。なぜヴァイキングの思想や生態について前置きしたかというと、それはこの物語自体がヴァイキング(海賊時代)の終焉、つまり土着信仰を脱ぎ捨て、新たな価値観を獲得していく物語に他ならないからだ。そしてその先頭に立ち、新たな「教え」、ドラゴンとの融和を取り持つのが主人公のヒック。

彼が相棒のトゥースと共に繰り広げる数々の冒険は、神話や民話に基づく英雄譚としても受け止められるが、その本質にあるのは、奪うだけでなく、他者を受け入れること、分け与えることの大切さを説く「伝道」に近い。つまり、ヒックの教える新たな概念、ドラゴンと人との融和の様子は、言い換えれば「キリスト教」の教えである。

そしてその新たな教え、概念は、やがてドラゴンとの戦争に負けて滅びる運命にあったヴァイキングたちの命を救い、真の意味での平和をバーク島にもたらす。ヒックは正しく救世主、ヴァイキングたちのイエス・キリストだ。

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ヒロイン・アスティの存在もかなり重要だ。彼女はヒックの最初の理解者であり、また最後までヒックを疑い拒絶していたアンチキリストでもある。ドラゴンと関わるヒックに対して、懐疑的な目を向けるアスティだったが、トゥースの背中に乗り、生まれて初めて空を飛ぶことによって、それまでの価値観が全て崩壊、再構築される。まさに、「眼から鱗」というやつだ。

ある意味で「盲目」の状態であったアスティは、新たな教えによって新たな世界を垣間見る。「眼から鱗」の語源となった元ユダヤ教徒使徒パウロは、光によって奪われた視力を新たな教え、キリストのお告げによって回復させる。その際に眼から鱗が落ちたという逸話は、聖書に載っている通りだ。キリスト教に目覚めたパウロは、後にキリストの活躍を描いた新約聖書を執筆することで、イエスの英雄譚の紡ぎ手となる。アスティは、ヒックにとってのパウロといえる。

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パウロの回心

なんだかキリストだのパウロだの、とたんに宗教色が強くなってきたが、これは物語の舞台設定上、時代背景上避けては通れない話なので仕方がない。というのも、史実上ヴァイキングの衰退とキリスト教の伝来には大きな関係があるからだ。

878年、ヴァイキングの指導者グズラムは、イングランドのアルフレッド大王に敗れ、これによってイングランドにおけるヴァイキングの居住地を定める協定が結ばれる。これがヴァイキングたちの終焉、そして彼らの住む北欧にキリスト教が持ち込まれるきっかけとなったわけだが、その教えが映画同様、北欧の人々の平和や融和に繋がったかといえば、そんなことはなかったことは歴史が証明している。

話をヒックとドラゴンに戻すと、ヒックは敵であったはずのドラゴンを人間たちと引き合わせ、共同体としての新しい生活を始めることに成功する。この共同体による文明の発展・革命というのは、どこかで聞いたことがあるというか、まさしくアメリカそのものである。ヴァイキングたちが持っていた旧来の価値観(アニミズム)はそのままに、ヒックが持ち込んだ新しい考え(キリスト教)もごちゃ混ぜにして、一つの運命共同体として生活する姿は、ヴァイキングキリスト教原理国家というより、リベラルな欧米のそれに近い。

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自然信仰をするヴァイキングたちにとって、その化身ともいえるドラゴンたちは、本来争う対象ではなく、むしろ信仰の対象(神)として崇め奉る存在になっても不思議ではないのだが、そこは侵略者、開拓者としての魂が優ってしまうのが人間の常。アメリカがかつて入植の時代に犯したのと同じ過ちを繰り返すヴァイキングたちだが、そこに仲介として入るヒック(そしてトゥース)の存在が、自然と人との繋がりを結びつけ、本当の意味でのアニミズム信仰(自然との持ちつ持たれつ)、そして正しい意味でのキリスト教(施し・融和)の教えを取り戻していく。まさしく、今の時代だからこそ描けた、今の時代だからこそ必要なものを描いた、傑作アニメーション映画だ。アニー賞を総なめにしたのも納得の名作である。

ヒックとドラゴン 1 伝説の怪物 (How to Train Your Dragon (Japanese))

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